今回は前回の続きです。
前回はこんな話をしました。
- 豊かで楽しい人生を送るために健康が必要
- 心身の全てが整って初めて「健康」を実感できる
- 「人生は苦行」という価値観が我々を必要以上に苦しめている
- 仕事と責任に追われると、感情を失ってしまう
今回はもう少し掘り下げて話を進めてみます。
テーマは「休職して得られるもの」です。
仕事に追われていた日々は異常な環境でしたが、長期休職により色々と見えてきました。
今回はその視点で、休職を検討している方や、メンタル不調の方向けの内容を書いてみました。
休職すれば、人間らしさを取り戻せる
僕が就職活動をしていた頃は今から十数年前。
当時はブラック企業がそこらじゅうにいて、労働時間も青天井の時代でした。
長時間労働やハラスメントは当たり前。
働くというのは「人間らしさを捨ててまで行うものなのか」と疑問に思っていました。
なんとか過重労働を避けてやり過ごせないかと対処してきたものの、社会の流れには逆らえず、結果休職する事になりました。
人間らしさとは何か?
ワークライフバランスが保てて、健康的な生活ができることが挙げられるでしょう。
しかしそれ以上に、自分の感性を取り戻し、「自分はこうしたかった」と思い出せることではないでしょうか。
感性を取り戻せば、したいことが見えてくる
昔を思い出してみる
子供の頃を思い出してみてください。
好きなことに熱中したり、友達や親戚と遊んだり、自然と触れ合ったり、ゲームしたり、出かけてはしゃいだり。
中学生ぐらいになれば、流行りの音楽を聴きまくったり、ファッションを楽しんだり。
周囲からの期待や義務への対応はそこそこに、楽しむことを優先していたはずです。
もちろん年齢によって楽しみ方は変わってきます。
ライフステージに合わせて、新しい趣味を見つけて没頭するのも良いですよね。
大人になると、色々な経験や知識も増えますから、それらを活かした趣味をするのも素敵だと思います。
子供の頃を思い出すと、人間には本来、人生を楽しむ能力が備わっていることに気づきます。
麻痺した感覚を取り戻していく
しかし大人になる事のは、自分を押し殺すことと認識されがちと感じます。
「社会人としてこうあるべき」というフレーズに元、様々な義務や責任が、我々を必要以上に苦しめてしまうのです。
自己犠牲的な価値観のために、劣悪な環境でメンタルを消耗してしまいます。
仕事に追われていくうちに、日常や趣味を楽しむ感覚は無くなっていきます。
感覚が麻痺しているだけで、本当はもっと楽しめるのです。
積極性と冒険心があるのが「正常なメンタル」
休職して取り戻せたこと
日常に工夫を取り入れたり、楽しみ作って生活を潤したり、時間を忘れて何かに没頭したり ー
休職して感じたことは、もっと日々を充実させたいと思うようになります。
例えば自分はドライブが好きなのですが、休職してからは色々な発見がありました。
車を運転すると自分の行動範囲が広がります。
公共交通機関や徒歩では行けない場所や、景色を見に行けるのが車の醍醐味です。
始めて走る道は冒険心をくすぐられます。
その場所の素晴らしい景色を、目に焼き付けることもできます。
特に初めて行く場所はワクワクします。
行って心地よい場所となれば、しめたものです。
その場所は自分にとっての秘密基地になり、また行くのが楽しみになります。
ドライブルートの行きと帰りで道を変えてみるだけでも、体験の幅は広がります。
知らない店を発見したり、思いがけない景観に出会ったり。
もしかしたら、将来暮らしたい場所に出会えるかもしれません。
働いていた頃〜休職し始めた頃は、とてもそういう感性でドライブなどできませんでした。
メンタルが正常な状態に戻ると、色々なことに対する感性が向上します。
自分を押し殺す癖がなくなる
毎日「これをやってみたい」が次々と生まれてくる状態。
日々を大切にし、何か新しい体験と喜びを得る ー この感覚が正常だと思うのです。
積極性や冒険心を感じにくい状況というのは、少なからずメンタルが消耗しているはずです。
ストレスに支配されるというのはそういう事だと思うのです。
休職すれば取り戻すことができます。
誰にでもある活動的な一面を再確認することができるのです。
人生は本来、楽しいもの
そして結論。ー 「人生とは本来、楽しいもの」
人は苦しむために生まれてくる訳ではない
精神論は苦しみの先に成功があると説きます。
しかし、過剰な精神論と同調圧力に飲み込まれた結果、「心身を病んでしまった人」や「人格が悪化した人」をたくさん見てきました。
大変なことも多いですが、苦悩は極力逃げるべきなのです。
誰にもあなたの人生を邪魔する権利はない
他人の時間を大切にするなら自分も同様
よく「時間は絶対に守りなさい」と教わります。
時間を守るのは他人の時間を大切にするためですが、その論理なら自分の時間だって大切です。
本来、他人に奪われる権利はありません。
心身の健康を守り抜いて、将来に可能性をつなげる
これまで、「健康は人生を楽しむために必要」と書いてきました。
健康はかけがえのないものです。
まずは自分の健康を確保する。
健康を土台に自分の幸福をかなえる。
そしてその先に、他者貢献の道を見い出していくで良いのです。
心身の健康を阻害する環境は、「自分が将来果たすべき他者貢献」を阻む、ー つまり「害悪」なのです。
自分軸を強固にすれば、自由を謳歌できる
「何かがおかしい」と疑ってみる
現代は昔と違って餓死することはなくなりました。
働くことも必要ですが、我武者羅に働く必要はないはずです。
健康を害するほどの状況は、何かがおかしいのです。
それは「他人からの過剰な期待」や「押し付け」「搾取」などによるもの。
そこには必ず悪があるはずです。
「仕事で認められたい」という承認欲も絡んでくると思いますが、今は何も「その会社で認められないといけない」という時代ではないです。
環境や人に振り回されないためには、自分軸を強固にしていく必要があるはずです。
そのために、
自己と対話し、感性を磨き、したいことを汲み取っていく。
自分の意思を尊重した活動の先に、人の為になることへつなげていく。
今は満たされていなくても、プロセスを楽しむことはできます。
今、調子の良い人だっていつかは衰えていきます。
「自由を勝ち取る戦い」は今の時代だって必要
自分は社会に出ることは「戦い」だと思っていました。
それは様々な困難や不条理に正面から向き合い、結果を出し続けることだと。
しかし本当の戦いはそれではありません。
理不尽な世の中で、自分の自由を守り貫いていくこと。それが本当の戦いです。
自分軸を強固にすれば、戦っていけると思っています。
そのためには仲間も必要でしょう。
信頼できるコミュニティや対人関係を築くのも必要になってきます。
そして教養も深めていきます。
理不尽に対抗できる知識を蓄え、信念を作っていく必要があります。
休職して時間ができれば、そういった課題にも取り組めるのです。
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