今回は教養関連のことを書きたいと思います。
僕は10年ほどシステムエンジニアの仕事をしたのち、現在は放送大学で心理学を学んでいます。心理学や歴史など勉強日々を送っていて、最近アウトプットを始めています。そして、メンタル不調で仕事を休んでいる「社会的弱者」も経験した立場で、人権について話したいと思います。
人権の意味を知ることで、自分を守ることができます。自分の最大の真方は自分自身です。自分はどんな状態であれ、自分を大切にすべきと考える根拠を知ることができると思います。
全体的にざっくりとした理解で説明していきたいと思いますが、結論から言うと、人権とは以下の2つで説明できると思っています。
- 困った人がいたら、社会が助けなくてはならない
- 自分が困ったら、社会に助けを求めて良い
人権の意味① 困った人がいたら、社会が助けなくてはならない
人権と言われるとなかなかピントこないですよね。でもまずは、この理解が必要なんじゃないかと思っています。
その理由と一つずつ見ていきたいと思います。
社会が助けなかったら、その人の可能性が閉ざされる
人権が無視される ー 例えば貧困や職場でのパワハラを放置するとどうなるか。当事者は劣悪な職場環境で働き続けたり、心身を病んでしまうことになります。社会の救済が不十分だと、様々なチャンスを失うことで当人が将来活躍できる可能性が閉ざされてしまうのです。
人間は本来、幸福を感じるために生きているので、苦痛を他人に強いる権利はないのです。しかし、人間は不完全な生き物です。自分の私利私欲に走ってまうことが度々あります。
だからこそ、社会は苦痛を取り除かなくてはならないのです。本人の努力ではどうしようもないことは、心理学や遺伝学、そして歴史が証明しています。社会からの救済がないと、当人が本来巡り会えた機会や成果を奪ってしまうのです。
「自己責任」は誤りです。
人権を軽視すると、社会が荒れる
これも歴史が証明しています。例えば貧困を放置することで、犯罪が増えて治安が悪化したり、不衛生な環境で生活することにより感染症が増えたり、あるいは戦争につながってしまいます。
一つ例を挙げると戦前の日本があります。戦前の日本は今以上の格差社会で、政治家や財閥(業界を牛耳る一族経営の会社)は利益を独占していました。一部の豊かな階級に対し、当時の庶民はとても貧しい暮らしをしていました。特に農村は貧困を極めており、大家族でも世帯年収は現在価値で40万円程度の生活をしていたそうです。
そんな状況でも、当時の政治家は全体として貧困に向き合っておらず、国民の不満が極限にまで高まっていました。貧困だった農村出身の青年将校が当時の政治家を襲撃するテロに発展することもありました。軍が台頭したのも、改善されない国民生活への不満の高まった背景があると言われています。
結果、軍の影響力が増して戦争に発展していきました。戦後のGHQによる統治でも、日本が再度戦争に向かわないために、格差の是正や財閥の解体、民主化が進められました。日本だけでなく長い歴史の中で、人権を軽視することは平和を脅かすという教訓が得られているのです。
人権の意味② 自分が困ったら、社会に助けを求めて良い
「困った人を社会が助けるべき」という理解のもと、個人もまた社会に助けを求める良いという考え方も言いたいです。個人も「自分が悪い」と思わずに、堂々と社会に助けを求めるべきなのです。
生活保護は困窮した人を対象に支給される支援制度ですが、その補足率(生活保護を受けるべき人が実際に受けている割合)は2割程度にとどまっていると言われています。生活保護を申請したくても、役所で嫌がらせを受けてしまうという事も聞いたことがあります。これも日本に蔓延している自己責任論の影響ではないでしょうか。
努力は必要だが、限界があるから助けを求めて良い。
もちろん努力を否定するわけではありません。基本的に努力は大切で、自分の能力を高めることで成功する可能性も上がります。自分の成長で幸福度を上げていくこともできるでしょう。
日本は資源のない国、工業国として発展してきました。自国で資源のない国は、人が大きな資本になります。一人一人ができる範囲で努力をして、能力をつけて社会の役に立つ。だからこそ勤労の義務があるのだと思います。
しかし、勤労の義務というのはセーフティーネットがあるというのが前提。自助努力では限界があるのに、限界を超えた領域まで「努力が足りない」と言われる圧力を感じる社会です。
橘玲氏の「言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)」では、人間の能力や性格は、遺伝や環境のかなり影響を受けているうこと。そして努力できるかどうかも、かなり遺伝が影響することを述べています。社会で成功できるかどうかだけでなく、「どれだけ努力できるか」さえも個人差があるのです。
橘玲 『言ってはいけない―残酷すぎる真実―』 | 新潮社この社会にはきれいごとがあふれている。人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない――だが、それらは絵空事だ。往www.shinchosha.co.jp
自助努力には限界があります。今は社会に助けを求るけど、コンディションが整ったら社会にしっかり貢献する。こういう考え方で良いのではないでしょうか。
社会的弱者になる可能性は誰にでもある
自分が社会に助けを求めて良い理由の2つ目は、誰でも社会的弱者になる可能性があるという点です。
災害に遭ってしまったり、交通事故などの不慮の事故に遭遇してしまうことは当然あります。さらにメンタル疾患の場合は、過去からのストレスの積み重ねにより最終的には些細なことがきっかけで発病してしまうこともあります。
いつ誰でも困った状況に陥る可能性がある。そんな時のために、社会に助けを求めて良いという考えは必要になるのです。
人権問題はもっと身近に潜んでいる
人権問題というと、国際紛争やLGBT、障害者の問題等につながるイメージがあるかもしれません。しかし、人権問題はもっと幅広いケースに適用されると思います。いじめやスクールカースト、パワハラ、長時間労働、発達障害、発達障害のグレーゾーン etc..。人権問題はもっと身近なところにあるのです。
例えばカスタマーハラスメントなんかも立派な問題です↓
人権を知ることで、精神的な豊かさを
最近SDGsが注目されています。これは社会や経済の仕組みが持続可能なように課題意識を持ち、一人一人ができることをしていくという考え方です。しかし、これは自分自身にも言えるのではないでしょうか。まずは自分が持続可能なこと。そのためには人権の意味を知り、自分を守ることだと思うのです。その上で、社会や地域のために行動できれば良いと思います。
自己責任がよく唱えられる社会で、生きづらさを抱えている人はとても多いと思います。だからこそ、人権とは何かを発信したいと思いました。読んだ方が少しでも気楽になれれば幸いです。
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